今朝はどうしようもない焦燥感に襲われています。
私は夜の6時から8時過ぎ皆が食卓を囲むであろう時間帯がたまらなく辛くなります。息子がいる時はひょっこり顔を出した時間でもあり、あれから3週間こんなにも長い間家に顔を出さないのは短大の時モロッコに行った時だけでした。なぜ来ないのだろう。こんなにも待っているのに。私達3人いつも食卓を囲んでいたのに。
昨日胃カメラ検査で旦那に「胃に穴は開いていなかったんですって」と報告した時、彼は「良かったね!」というコメントを下さった皆さんの様な反応ではありませんでした。
先日康険保健組合から入院時の費用の決済書が届いたのですが、7,800ユーロ(約110万円)かかっており、補填保険からも支払われた結果、自己負担はありませんでした。
旦那は私の報告に「いったい病院は何をやっているんだ。もし君の様な状態の患者があの日3人いてみろ。330万円が無駄に使われるってことだぞ。僕達がいくら働いて支払ってもこんな風にお金が使われたんじゃたまったもんじゃない」と言いました。
入院時、旦那が私の心配をしていたことは事実で彼も今回の結果に安堵していることに変わりはないでしょうが、相変わらず一番に相手に話す内容の選択が不思議です。
お金のことは済んでいるのだから息子とだったら「もー、あんなに苦しい治療をしたのになんでよー!どういうこと~?」と笑いながら言えたのにになぁと思いましたがもうそんなこと思っても仕方がありません。
昨日の午後私は旦那とレンヌ市に出かけました。旦那の今は亡き友人ミシェルの母親と娘たち3人がロスコフにタラソテラピーに行く途中、レンヌ市で合流する機会に合わせて彼らに会いに行くためでした(ロスコフの話はこちら↓)。
旦那が前日に私に聞いた時、私は「行ってもいいけれどその代わり金曜日に公証人たちと息子の家の査定に行くのについてきて欲しい」と交換条件を出しました。
私たちは14時半から16時過ぎまで一緒にカフェで時間を過ごし別れたのですが、旦那はその時にまた違った約束をしてきました。
金曜日、娘の一人が母親を連れてパリに戻る途中、我が家に寄ってもらうのだと言いました。「金曜日公証人の約束は何時だった?昼なら大丈夫だろう?昼ご飯は彼女たちとレストランで食べよう」という彼に私は(交換条件を追加されちゃった。一人で行ってくれたらいいのに)と思いました。
ミシェルの母親は息子が亡くなってもこうやって娘たちと出かけられていいなと、両腕を娘たちに取られて仲良く歩く姿が今は辛いのだときっと旦那は分からないでしょう。
子供が何人いてもその子を失う事は同じ気持ちだと理解しています。でもこの25年私のことを「ママ」と呼んでくれた子供はもういないのだと思うとその事実が受け止められずどうしようもない焦燥感がこみ上げてきます。
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息子は私が33歳旦那が40歳の時の子供です。私は自分の人生で結婚して子供を産むと言うことは考えたことがなく、ずっと一人で仕事をして生きていこうと思っていました。旦那に熱心に口説かれて結婚したわけですが、息子が出来たらそれは可愛くて自分の人生を捧げて育ててきたといっても過言ではありません。息子を育てることで私の性格も変化して成長させてもらったと言えます。息子はずっと「僕はママとすごく気が合って仲良しやねん」と周囲に言っていて色んな所に二人で行きました。それなのに彼は私を置いていってしまいました。
私は夜の6時から8時過ぎ皆が食卓を囲むであろう時間帯がたまらなく辛くなります。息子がいる時はひょっこり顔を出した時間でもあり、あれから3週間こんなにも長い間家に顔を出さないのは短大の時モロッコに行った時だけでした。なぜ来ないのだろう。こんなにも待っているのに。私達3人いつも食卓を囲んでいたのに。
昨日胃カメラ検査で旦那に「胃に穴は開いていなかったんですって」と報告した時、彼は「良かったね!」というコメントを下さった皆さんの様な反応ではありませんでした。
先日康険保健組合から入院時の費用の決済書が届いたのですが、7,800ユーロ(約110万円)かかっており、補填保険からも支払われた結果、自己負担はありませんでした。
旦那は私の報告に「いったい病院は何をやっているんだ。もし君の様な状態の患者があの日3人いてみろ。330万円が無駄に使われるってことだぞ。僕達がいくら働いて支払ってもこんな風にお金が使われたんじゃたまったもんじゃない」と言いました。
入院時、旦那が私の心配をしていたことは事実で彼も今回の結果に安堵していることに変わりはないでしょうが、相変わらず一番に相手に話す内容の選択が不思議です。
お金のことは済んでいるのだから息子とだったら「もー、あんなに苦しい治療をしたのになんでよー!どういうこと~?」と笑いながら言えたのにになぁと思いましたがもうそんなこと思っても仕方がありません。
昨日の午後私は旦那とレンヌ市に出かけました。旦那の今は亡き友人ミシェルの母親と娘たち3人がロスコフにタラソテラピーに行く途中、レンヌ市で合流する機会に合わせて彼らに会いに行くためでした(ロスコフの話はこちら↓)。
旦那が前日に私に聞いた時、私は「行ってもいいけれどその代わり金曜日に公証人たちと息子の家の査定に行くのについてきて欲しい」と交換条件を出しました。
私たちは14時半から16時過ぎまで一緒にカフェで時間を過ごし別れたのですが、旦那はその時にまた違った約束をしてきました。
金曜日、娘の一人が母親を連れてパリに戻る途中、我が家に寄ってもらうのだと言いました。「金曜日公証人の約束は何時だった?昼なら大丈夫だろう?昼ご飯は彼女たちとレストランで食べよう」という彼に私は(交換条件を追加されちゃった。一人で行ってくれたらいいのに)と思いました。
ミシェルの母親は息子が亡くなってもこうやって娘たちと出かけられていいなと、両腕を娘たちに取られて仲良く歩く姿が今は辛いのだときっと旦那は分からないでしょう。
子供が何人いてもその子を失う事は同じ気持ちだと理解しています。でもこの25年私のことを「ママ」と呼んでくれた子供はもういないのだと思うとその事実が受け止められずどうしようもない焦燥感がこみ上げてきます。
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息子は私が33歳旦那が40歳の時の子供です。私は自分の人生で結婚して子供を産むと言うことは考えたことがなく、ずっと一人で仕事をして生きていこうと思っていました。旦那に熱心に口説かれて結婚したわけですが、息子が出来たらそれは可愛くて自分の人生を捧げて育ててきたといっても過言ではありません。息子を育てることで私の性格も変化して成長させてもらったと言えます。息子はずっと「僕はママとすごく気が合って仲良しやねん」と周囲に言っていて色んな所に二人で行きました。それなのに彼は私を置いていってしまいました。
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コメント
コメント一覧 (16)
切なさが溢れてきます。ミネットさんのお気持ちを思うと・・・コメントで少しでも気持ちが和らげばと思っています。
だんなさま、来客があったり外へ出たりするとミネットさんの気分転換になると思われてるのですね、きっと。でも、違うんですよね、理解してといっても、男性と女性のもつ染色体の違いで、判らないんだろうな、子に対する感情って。
ミネット
がしました
例えば、畑の草取りに一緒に行っとけば、買い物に行ける、とか。お互い様なんだから。
ミネット
がしました
見てるだけで、お辛いですよね。
私は一番気持ちをわかってくれているはずの旦那に寄り添って欲しかったのに、いや、ただ頷いてくれるだけでよかったのに、旦那は突き放すような物言いしかしませんでした。
しかも人前で。
そして、私はずっと覚えています。一生忘れまへん。
ミネット
がしました
旦那様のご友人のお母様と娘さん、ちょっとご負担になりませんか?外出や他の方とのお喋りで気が紛れるならいいのですが、お辛くありませんか?交換条件に追加するなら、ミネットさんからも追加できないかしら?もうちょっと、気遣ってもらえたらいいのに。。。
本当に仲良しなのに、どうして先立たれたのでしょうね。もっと甘えてくれて良かったのに。日本に一緒に行けばよかったのに。どうして、どうして。
ミネットさんのお気持ちを想うと、胸が張り裂けそうです。
ご子息に先立たれた方々は、皆さまどうやって日々を乗りきっていらっしゃるのでしょう。
どうか今日も一日を乗り越えられますように、横浜からミネットさんのためにお祈りしております。
ミネット
がしました
ミネット
がしました
旦那さまは健康保険のことに対して疑問を持って意見をおっしゃってますね。フランス国民として支払いの義務を
していらっしゃるので、いろいろと感じてらっしゃるのか?本当はミネットさんの病気がなんでもなくてホッとしているんですね。素直でないからなんだかんだの理由つけてるだけかな。😁
ミネットさんも、一時は気が紛れても、また、悲しみが襲って来る毎日ですね。息子さんと同じ境遇で亡くされた方たちの会でいろんな方のお話を聞くのもいいかも知れませんね。そして、自分の体験も伝えることによって、早い段階で少しずつ快方に向かって行きそうな気がするのですが。フランスでも宗教絡みではなくて、民間で会を組織しているところがあるといいのですが。日本でいうとNPO法人とか。
息子さんを亡くした悲しみは消えませんが。しばらくは
息子さんと同じ年頃のお子さんを見るのが辛かったり、
いろいろな場面で思い出して辛かったりの繰り返しになると思います。時間が解決に向かうと思いますが、自分で、探し例会に出てみるのもいいかもしれませんね。
もちろん、プログでもたくさん思ったこと、感じたことをたくさんの綴ってくださいませ。
実は夕食に納豆を食べたのですが、たしか、息子さんは大好きだったかな。なんて私も考えてました。
やっぱり、大好きな息子さん、とにかく引きこもってもなんでもいいから生きて欲しかったですね。
ミネット
がしました
今も思い出したくない記憶です。多くの方が悲しみにうちひしがれ、今も癒えずにおられることを思うと幸運だっただけだと。
ことある度に思いが募るでしょうがどうか顔をあげて生きて下さい。
宗教的な話は嫌いですが悔しいけれどそういう定めの人生が与えられたのでしょう。
ミネットさんが楽になれるなら我慢しないで何でも吐き出してね。
ミネット
がしました
ミネット
がしました
やはり若いお子さんを自死で亡くされた方が、書いているブログが探せばある様です。
気が向いたら、読んでみるのもいいかもしれませんね。
レストラン、行かなければならないんだったら、高くて美味しいもの食べてくださいね。
ミネット
がしました
自然というものは時に優しく、時に残酷ですよね、、毎春、この美しい桜を息子さんと愛でていらしたことでしょう、、
命とはいったい何なのか。人生にはいったいどんな意味があるのか。半世紀以上も生きてきましたが、未だに答えはわかりません。
しかしながら、息子さんはきっと、太くてキラキラした美しい人生を走りきったのだと思います。
いつかお心が落ちつかれたら、息子さんとの素敵な想い出を、私達にもをたくさん教えて頂きたいと思います。
ミネット
がしました
母が亡くなったあと、ご近所の若い姉妹が、楽しそうに、仲良く話しをしている姿を見た瞬間、辛いどころか、激しい怒りと嫉妬を感じた自分にびっくりしました。
それまで、自分は「嫉妬心のかなり薄い人間」だと思っていたので。
同居していた母亡き後、家にいるのは耐えがたかったので、3カ月ほど田舎で休暇をとり、海、山、街を訪れました。悲しみが薄まることは決してなかったけれど、違う場所で、悲しみを、かみしめることができたことは、振り返ってみると良かったと思います。それを可能にしてくれた夫に、今でも感謝しています。
ミネット
がしました
日本のご家族もご心配でしょう。きっと、できることなら代わってあげたいと思っていらっしゃるのではないでしょうか。
でも誰も…もちろん私達もミネットさんの悲しみを肩代わりすることはできないのですね。
旦那様のことは、ミネットさんが一番良くご存知でしょう。
今どうすれば一番良いのかも、賢いミネットさんならよく分かっていらっしゃると思うのですが…それでもほんの少しの時間でもミネットさんの気持ちが紛れるようなことができればいいのにと思います。
何もできない私は、ただ、時間が癒してくれることを祈ります。
息子さんはずっとミネットさんと一緒におられると思います。
これからの花咲く季節を、息子さんにも一緒に見せてあげてください。
ミネット
がしました
ミネット
がしました
それでも息子さんはいつも側にいる、と感じる時は訪れると信じます。でも今は全然その時じゃない。
ご自宅に寄っていく友人の家族は無理に接待しなくて、ご自身を労って下さい。もし旦那さんが不機嫌でも。旦那さんは話し相手がいていいのか。。。
金曜日が穏やかな日でありますように。
ミネット
がしました
これは長期戦ですよ。
お姉さまが言われたように、兎に角一日一日を生きていきましょうね。
それにしても、今さらですが、やはり悲しくて残念でたまらないですね。
息子さん、ママがこんなに悲しむ姿を想像出来てたら、思い止まったに違いないと思うんですけどね。でも病的な状態でいらしたからその余裕もなかったのでしょうか。
今はきっと後悔して、ミネットさんの側で見守っておられるように思いますよ。
見えなくたって、いつも一緒ですよ。
ミネット
がしました