息子のお別れには職場関係の他に多くの自転車競技仲間が来てくれました。
パリ郊外からブルターニュ地方に引っ越し、自転車では最高のレベルと言われる地域で彼は数々の戦績を残していきました。
高校は県の強化選手を育てる協会と提携しているところに入り、自動車のメカニックの勉強をしながら寮生活を送りました。
そして私は息子のマネージャーの様に全ての試合について回り、試合直前のマッサージや試合中の給水、試合後の体の管理等を行っていました。
彼が自転車を止めたいと言った時、私達親は酷く動揺しました。ブルターニュ地方に引っ越して出来た知り合いは全て息子を通しての自転車関連の人達でしたし、突然その付き合いが絶たれ、もう彼らと連絡を取ることは無くなってしまいました(自転車をやめた時の話↓)。
このブログを始めた7年前は息子が自転車競技をやめたがっていた時で、私は急に空き始めた自分の時間を持て余したのがきっかけです。
それまで私の時間は全て彼を中心に使っており、寮に入っていても週末には帰って来ていたので学校への送迎もしておりました。
霊安室に来てくれて1時間以上も息子と一緒にいてくれた仲間は横に立てかけていた優勝して片腕を突き上げている息子の写真を見て「この時、僕がアシストして彼を前に出したんです。そうしたら表彰台でもらった花を『ありがとう』と言って僕にくれたんです」と言いました。
セレモニーにも多くの自転車仲間、コーチが来てくれ、私達親と親族が最後のお別れを済ませて外に出ると皆外で待っていてくれました。
最初に声をかけられたのはブルターニュ地方のチャンピオン大会で息子が2位になった時に1位だった子の両親でした。
セレモニーで流したビデオにも映っていましたし、彼との写真も使いました。
「息子が知らせを聞いて驚いて連絡してきたの。今パリで自転車競技関連の仕事に就いていてどうしても行けないからと私達に頼んできたのよ。〇〇はいつも優しくて僕は彼に(競技的に)意地悪なんてできなかったよって言ってた」と言い、彼らの住所と携帯電話の番号を書いたカードをくれ、「必ず会いに来てね。いつでも電話してね」と抱きしめてくれました。
彼らと一緒にいたのは高校で強化チームが一緒で現在プロの自転車選手になっている子と、他にも同じチームでフランス大会でチーム優勝した時の子も来てくれていました。
沢山の仲間と抱き合ったあと、私が最後に話をした自転車仲間は「僕のことを覚えていますか?アントワンです」と言いました。私は彼の父親のことをブログの記事にしたことがあります(こちら↓)。彼の父親のお葬式に息子と参加しました。
アントワンは私を抱きしめて「僕のパパが迎えてくれているから大丈夫ですよ。昔僕達の自転車レースの世話をしていたようにちゃんと彼の面倒も見ますからね」と言い、一緒にいた母親も私を抱きしめ連絡先をくれて「いつでも電話してね」と涙してくれました。
こんな形で息子はまた彼らとの縁を繋いでいってくれたのでした。
こんなにも力強くエネルギーに満ち溢れた子だったのに。こんなにも皆から愛されていた子だったのに。やっぱり「どうして?なぜ?」と思ってしまい涙が溢れます。
人気ブログランキング凄かったね。
にほんブログ村頑張ったね。
お別れのセレモニーは青い空に白い雲が浮かぶ夏日でした。皆が私と話すのに外で待っていてくれました。あっ、旦那はね、親族と話してばかりで誰とも挨拶していません(-_-;)。最後の人が終わって気が付くと旦那は私に声もかけず親族と共に先に帰っておりました。まぁ、それが旦那ですし、お陰で私は息子の前の職場の人のグループや息子が企業研修させてもらったガレージの人達、高校の友達、短大の友達、自転車仲間、その親やコーチと存分に話すことが出来ました。旦那が親族部門を請け負ってくれたと思う事にしましょう。息子もそれを知っていますよね。
パリ郊外からブルターニュ地方に引っ越し、自転車では最高のレベルと言われる地域で彼は数々の戦績を残していきました。
高校は県の強化選手を育てる協会と提携しているところに入り、自動車のメカニックの勉強をしながら寮生活を送りました。
そして私は息子のマネージャーの様に全ての試合について回り、試合直前のマッサージや試合中の給水、試合後の体の管理等を行っていました。
彼が自転車を止めたいと言った時、私達親は酷く動揺しました。ブルターニュ地方に引っ越して出来た知り合いは全て息子を通しての自転車関連の人達でしたし、突然その付き合いが絶たれ、もう彼らと連絡を取ることは無くなってしまいました(自転車をやめた時の話↓)。
このブログを始めた7年前は息子が自転車競技をやめたがっていた時で、私は急に空き始めた自分の時間を持て余したのがきっかけです。
それまで私の時間は全て彼を中心に使っており、寮に入っていても週末には帰って来ていたので学校への送迎もしておりました。
霊安室に来てくれて1時間以上も息子と一緒にいてくれた仲間は横に立てかけていた優勝して片腕を突き上げている息子の写真を見て「この時、僕がアシストして彼を前に出したんです。そうしたら表彰台でもらった花を『ありがとう』と言って僕にくれたんです」と言いました。
セレモニーにも多くの自転車仲間、コーチが来てくれ、私達親と親族が最後のお別れを済ませて外に出ると皆外で待っていてくれました。
最初に声をかけられたのはブルターニュ地方のチャンピオン大会で息子が2位になった時に1位だった子の両親でした。
セレモニーで流したビデオにも映っていましたし、彼との写真も使いました。
「息子が知らせを聞いて驚いて連絡してきたの。今パリで自転車競技関連の仕事に就いていてどうしても行けないからと私達に頼んできたのよ。〇〇はいつも優しくて僕は彼に(競技的に)意地悪なんてできなかったよって言ってた」と言い、彼らの住所と携帯電話の番号を書いたカードをくれ、「必ず会いに来てね。いつでも電話してね」と抱きしめてくれました。
彼らと一緒にいたのは高校で強化チームが一緒で現在プロの自転車選手になっている子と、他にも同じチームでフランス大会でチーム優勝した時の子も来てくれていました。
沢山の仲間と抱き合ったあと、私が最後に話をした自転車仲間は「僕のことを覚えていますか?アントワンです」と言いました。私は彼の父親のことをブログの記事にしたことがあります(こちら↓)。彼の父親のお葬式に息子と参加しました。
アントワンは私を抱きしめて「僕のパパが迎えてくれているから大丈夫ですよ。昔僕達の自転車レースの世話をしていたようにちゃんと彼の面倒も見ますからね」と言い、一緒にいた母親も私を抱きしめ連絡先をくれて「いつでも電話してね」と涙してくれました。
こんな形で息子はまた彼らとの縁を繋いでいってくれたのでした。
こんなにも力強くエネルギーに満ち溢れた子だったのに。こんなにも皆から愛されていた子だったのに。やっぱり「どうして?なぜ?」と思ってしまい涙が溢れます。
人気ブログランキング凄かったね。
にほんブログ村頑張ったね。
お別れのセレモニーは青い空に白い雲が浮かぶ夏日でした。皆が私と話すのに外で待っていてくれました。あっ、旦那はね、親族と話してばかりで誰とも挨拶していません(-_-;)。最後の人が終わって気が付くと旦那は私に声もかけず親族と共に先に帰っておりました。まぁ、それが旦那ですし、お陰で私は息子の前の職場の人のグループや息子が企業研修させてもらったガレージの人達、高校の友達、短大の友達、自転車仲間、その親やコーチと存分に話すことが出来ました。旦那が親族部門を請け負ってくれたと思う事にしましょう。息子もそれを知っていますよね。
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コメント
コメント一覧 (18)
もうね、また、涙が出ましたよ。
そして、お別れに来てくださった人の多くが、息子さんのことは勿論のこと、お母さんのミネットさんのことを気遣ってくれてるのがよく分かるエピソードですね。
ミネット
がしました
ミネットさんの書く文章が本当に好きです。
ミネットさんの文章を読んでいると情景が浮かんで私も近くにいるような気になります。
息子さん。。せっかちだったのかな。今はママに会いたくて恋しくて後悔してるんじゃないかなあ。。
ミネットさんみたいなママの所に生まれて幸せだったと感じてると思います。
ミネット
がしました
ミネットさん、胸がいっぱいでなんて言っていいのか・・・
ミネット
がしました
ミネット
がしました
私の母のいとこは奥さんと二人の幼い息子をのこして30代で自殺しました。やはり原因はわかりません。
残された家族や友人はなぜ、どうしてとずっと問いかけながら生きていくしかありません。本人の気持ちは本人にしかわかりませんし、私たちにはどうすることも出来ないんです。
慎吾さんのことは決して他人事ではないです。周りのいつ誰が突然そうなるか、誰にもわからないのですから。
ミネット
がしました
息子さんがいつもみんなに優しかったこと、エピソードの数々が物語っていますね。ミネットさんは献身的にサポートされていたのですね、仲が良かったのはそんな歴史があったからでしょうか。
息子さんの心にはご両親や日本のおばあ様はじめご親戚の方々、ご友人の皆さま、たくさんの方との暖かい想い出が詰まっていたはずなのに。愛情がたくさん詰まっていたはずなのに。
どうか疲れていた息子さんの心が、もう一度溢れるばかりの愛情で満たされて、癒されていますように、天国に届いていますように✨
ミネット
がしました
トップクラスなんてなったことないけど特集なんかで見ると皆さん大変な葛藤と戦ってるんですよね。努力は報われると言うのは結果が出るまで努力するからだと言ったトッププロがいます。
若い時から周りに配慮もして色々考える子だったんですね。
きっと今、彼は全てから開放されて雪ちゃん連れて楽しく走ってますよ。
ママも健やかに暮らしましょうね
ミネット
がしました
たくさんスポンサーがつくマイヨを身につけている息子さんは、すごい選手だったと思います。優秀で仲間からもとても愛されていたんですね。
アントワン君の言葉が胸に染みます。
ミネット
がしました
でも、競技をやめても多くの人達が、葬儀に参列してくれたんです。会社が執り行う社葬と違い、損得感情の無い本当の友情に溢れた葬儀だと思います。
ミネット
がしました
最愛のママが途方に暮れないように、愛してるって伝えるために蝶々でもオコジョでも姿を借りて最速で舞い降りておいで
ミネット
がしました
「ねぇ、どこまで走っていったの?」というミネットさんの言葉に胸が詰まります。
いつか息子さんとの幸せな思い出を胸の痛みを伴わずに思い出せるようになりますようにと願っています。
ミネット
がしました
ミネットさんも、なぜ?と思う気持ち。つらいくて悲しい気持ちが込み上げてしまう。それだけ、心の奥で抑えていた気持ちがあったのかもしれませんね。
いい友達に恵まれて、一生懸命に打ち込めた青春時代の息子さんの表情はとてもいきいきして素敵です。
かけがえのない息子さんは、今後もずっとミネットさんと旦那様の宝物ですね。
ミネット
がしました
ミネットさん おはようございます☔️
素敵な写真ですね。
思い出は美しい事だけ覚えてればいい。
本の一文ですが、落ち込んだ時に思い出す言葉です。
息子さんの優しく素敵な笑顔、美しい思い出に包まれ、日々穏やかに過ごして下さい。
ミネット
がしました
慎吾さんの気持ちは慎吾さんにしか分からないし、自分でも分からない言葉に出来ない何かは誰しもが常に持っていますよね?
私は考え込むことが多いけど、ある一定のところに来ると「気がおかしくなる」感覚にとらわれて強制的にストップしています。二十代の後半頃、歯止めが効かなくてとうとう頭の中に巨大コンピューターが現れて、チカチカピコピコという音と共にいろんな色のライトが点滅しだして不意に「窓から飛び降りよう!」と思った瞬間、恐ろしい程の吐き気に襲われトイレに駆け込み、全てを吐き切ったらすっかり気持ちが落ち着いていたことがありました。私もスポーツではありませんが競技人生をおくってきまして、好きでもなくどちらかと言うと嫌いだったけど、周りの人達の雰囲気で「やめる」が言えない子供時代でした。人間いつ何処でどんなトリッガーを弾いてしまうかなんて、自分を含めて誰も予測できませんよね。脳の仕組みは無限の宇宙と同じで、しかも個々の脳がそれぞれ違う宇宙を持っていて、理解するなんて絶対出来ないだろうな、、
ミネット
がしました
お葬式の日、ささやかながら遠い大陸からお祈りさせてもらいました。
私もいまだに「なんで?」「ほんま?」って気持ちが消えないの。
息子くんが皆から慕われる立派な若者として生きた人生を、ミネットさんは母親として思いっきり誇ってね。
ミネット
がしました
読みやすくて、温かくて。
駆け抜けていった息子さんの記録を、
振り返って読ませていただいております。
異国の地で立派に優しい息子さんに育てあげられて、
本当に尊敬します。
お辛くなければ、ブログを更新していただければ、ファンは有難いです。
でも、ご無理なさらないでね。ファンは待ちますから。
ミネット
がしました
今回のことでミネットさんが周りの方から受ける愛情にもずっと涙しています。
普段はミネットさんのブログを読んで外国の方の自我の強さに辟易とするばかりでしたが
彼らは愛情や同情、親切心なども強く表現されますよね。
ミネットさんのお気持ちが周りの優しい方々の愛情で少しでも救われることを祈ってます。
ミネット
がしました