息子は金曜日の午後天に駆け上がって行きました。
皆様一緒に祈って下さり本当にありがとうございました。

息子の死の翌日から私はとても忙しい時間を過ごしていました。朝はいつもの様にブログを書くことで頭の中を整理し、発信することで皆様から私の気持ちに的確に寄り添って下さることを感じ支えられていました。

あちこちに出向く用事を済ませた後は私はずっと息子の側にいて、額・眉毛・目・鼻・頬・口に何度もキスをして色んなことを話しました。

最愛 3

霊安室は普通の部屋の様でベッドに寝ている様にしか見えない様子に毎日「〇〇ちゃん、お待たせ!」と声をかけました。

一方、火葬場でのセレモニーの打ち合わせや棺・骨壺・棺桶に敷く布・棺桶に付ける名前のプレート等の選択をしました。

棺や骨壺などのフランス語の単語を知らなかったので何度も聞き返し、(こんなことは順番で行ったら私達が先で、もっと言えば旦那が先で私と息子でやることだったのに)と思いながらその度に涙が溢れました。

そこまでは旦那と私の2人で支え合いながらやっていたのですが、火曜日の午後に妹達3人が到着すると旦那はもう霊安室には来なくなりました。元々来ても彼は中には入れないのでそれは納得していましたが、水曜日・木曜日は息子に最後に会いに来て下さる方を迎えるため、玄関ホールに待機してくれてもいいのではないかと思いました。

水曜日・木曜日、学校の先生、同僚、自転車仲間、友達、仕事関連の人達、私の(前の)ジム仲間、Fちゃんやイザベル、日本人の友人等が会いに来てくれ皆が「彼は優しすぎる子だった」と言い私を抱きしめて一緒に泣いてくれました。

一度に色んな人が重なると申し訳なく「人がいっぱいだから」と玄関で帰られた方々もおられました。

夜家に帰ると私はセレモニーで使用する写真やビデオや遺影を選び、息子の友達とコンタクトして彼の好きな音楽の曲名を聞いたり、彼らにセレモニーで読む手紙を依頼したり、親の挨拶文を私が書いたり、葬儀屋さんと携帯のメッセージを送り合って打ち合わせをしました。

最愛 2

木曜日の夜にはパリ郊外に住む私の親友が到着し
夜中まで霊安室に付き合ってくれ、翌日も棺に蓋を閉めるまで私の側で手を握り支えてくれました。「〇〇ちゃん、こんな辛いことをずっと一人でやっていたなんて。私来て良かったよ」と泣いてくれました。

火葬場へも彼女の車で息子の棺を乗せた車の直ぐ後をついて行きました。

火葬場には150人くらいの人が来てくれて特に息子の職場からは平日にこんなに人が抜けていいのかと思うくらいの人達が来てくれました。

私が送った写真やビデオを編集して葬儀屋さんが作って下さった15分程のスライドショーを見て皆のすすり泣く声と嗚咽があちこちから聞こえました。

皆が心に残る良いセレモニーだったと言ってくれ私は自分が息子に出来る最後のことをしてやれたと思います。

セレモニーが終わった後、会場の外で多くの人が待っていてくれたので私は順番に挨拶して回りました。旦那の方を見ると自分の親戚と話していて動こうとしないので私は久しぶりに会う自転車仲間や高校短大の友達や職場の人達と話し、抱きしめてもらい、一緒に泣いてもらい手紙やお香典を受け取りました。

最後の人達が終わり気が付くと旦那は既に出発しておらず、私は親友の車に乗せてもらい、当日にパリ郊外から息子さんの車で駆け付けてくれた別の友人と共に会場を後にしました。

翌日息子の灰が入った骨壺(こちらは高温で焼くため骨の形が無い)が
沢山の花と一緒に戻って来た時、私は自転車レースに例えた最後の葬儀屋さんの挨拶が思い浮かびました。

息子は自転車競技では最終周ゴールまで時速60~70キロで走り抜ける瞬発力と脚力を備えたスプリンターでした。

私は彼が自転車競技をしている間、毎週末彼と行動を共にし、彼が走っている時にドリンクを渡す役目をしていました。一度も渡し損ねたことはありません。

あの日、家に寄った彼は食欲が無いと言ったので倉庫にあった彼が好きなナタデココ入りのドリンクを渡すと「うん、これなら飲める」と笑って受け取り美味しそうに飲みました。恐らくそれが彼が最後に口にしたものだと思います。

最愛 1

彼が死に場所に選んだのは私たちがブルターニュ地方に引っ越してから最初に優勝した場所だったと気が付きました。

私から飲み物を受け取った彼は最後の直線を猛スピードで駆け抜けたわけです。

今の私の手元には沢山の花があり、彼の試合の後の様です。
表彰台に上り花とカップをもらいインタビューを受けていた息子。そしてその花をいつも私にくれて私は車までの道を誇らしく花を見せびらかせながら帰りました。

ママ、頑張ったよ。あなたの25年の人生は凝縮されて誰よりも濃いものだったと思う。いつも急いでいてママは目が回りそうだったけれどとても楽しかった。最後の最後まで全力疾走しちゃったね。

素敵な夢を見させてもらった25年間でした。私の子供に生まれて来てくれて本当にありがとう。


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昨日のお昼ご飯のあと妹達が帰ると旦那は私に優しくなりました。私は霊安室から写真を両親と姉家族に送り電話をして息子に声をかけてもらっていました。息子が旅立つ時に両親は仏壇でお経を唱えてくれました。旦那家族は息子の姿を見ていないので私は棺桶に彼が買った沢山のぬいぐるみを一緒に入れました。ぬいぐるみ達にもキスをして息子を託しました。道中お腹が空くかと思い焼きそばカップとラーメンを入れました。お寿司は作る時間がありませんでした。もし三途の川を渡るのならとお金もそっと持たせました。手持ちが無かったのでお香典から10ユーロ抜いて息子に「これは120万くらいの価値があるんだよ」と言いなさいと言いました。そこまで行けば雪ちゃんが待っていてくれるよ。

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