息子は金曜日の午後天に駆け上がって行きました。
皆様一緒に祈って下さり本当にありがとうございました。
息子の死の翌日から私はとても忙しい時間を過ごしていました。朝はいつもの様にブログを書くことで頭の中を整理し、発信することで皆様から私の気持ちに的確に寄り添って下さることを感じ支えられていました。
あちこちに出向く用事を済ませた後は私はずっと息子の側にいて、額・眉毛・目・鼻・頬・口に何度もキスをして色んなことを話しました。
霊安室は普通の部屋の様でベッドに寝ている様にしか見えない様子に毎日「〇〇ちゃん、お待たせ!」と声をかけました。
一方、火葬場でのセレモニーの打ち合わせや棺・骨壺・棺桶に敷く布・棺桶に付ける名前のプレート等の選択をしました。
棺や骨壺などのフランス語の単語を知らなかったので何度も聞き返し、(こんなことは順番で行ったら私達が先で、もっと言えば旦那が先で私と息子でやることだったのに)と思いながらその度に涙が溢れました。
そこまでは旦那と私の2人で支え合いながらやっていたのですが、火曜日の午後に妹達3人が到着すると旦那はもう霊安室には来なくなりました。元々来ても彼は中には入れないのでそれは納得していましたが、水曜日・木曜日は息子に最後に会いに来て下さる方を迎えるため、玄関ホールに待機してくれてもいいのではないかと思いました。
水曜日・木曜日、学校の先生、同僚、自転車仲間、友達、仕事関連の人達、私の(前の)ジム仲間、Fちゃんやイザベル、日本人の友人等が会いに来てくれ皆が「彼は優しすぎる子だった」と言い私を抱きしめて一緒に泣いてくれました。
一度に色んな人が重なると申し訳なく「人がいっぱいだから」と玄関で帰られた方々もおられました。
夜家に帰ると私はセレモニーで使用する写真やビデオや遺影を選び、息子の友達とコンタクトして彼の好きな音楽の曲名を聞いたり、彼らにセレモニーで読む手紙を依頼したり、親の挨拶文を私が書いたり、葬儀屋さんと携帯のメッセージを送り合って打ち合わせをしました。
木曜日の夜にはパリ郊外に住む私の親友が到着し夜中まで霊安室に付き合ってくれ、翌日も棺に蓋を閉めるまで私の側で手を握り支えてくれました。「〇〇ちゃん、こんな辛いことをずっと一人でやっていたなんて。私来て良かったよ」と泣いてくれました。
火葬場へも彼女の車で息子の棺を乗せた車の直ぐ後をついて行きました。
火葬場には150人くらいの人が来てくれて特に息子の職場からは平日にこんなに人が抜けていいのかと思うくらいの人達が来てくれました。
私が送った写真やビデオを編集して葬儀屋さんが作って下さった15分程のスライドショーを見て皆のすすり泣く声と嗚咽があちこちから聞こえました。
皆が心に残る良いセレモニーだったと言ってくれ私は自分が息子に出来る最後のことをしてやれたと思います。
セレモニーが終わった後、会場の外で多くの人が待っていてくれたので私は順番に挨拶して回りました。旦那の方を見ると自分の親戚と話していて動こうとしないので私は久しぶりに会う自転車仲間や高校短大の友達や職場の人達と話し、抱きしめてもらい、一緒に泣いてもらい手紙やお香典を受け取りました。
最後の人達が終わり気が付くと旦那は既に出発しておらず、私は親友の車に乗せてもらい、当日にパリ郊外から息子さんの車で駆け付けてくれた別の友人と共に会場を後にしました。
翌日息子の灰が入った骨壺(こちらは高温で焼くため骨の形が無い)が沢山の花と一緒に戻って来た時、私は自転車レースに例えた最後の葬儀屋さんの挨拶が思い浮かびました。
息子は自転車競技では最終周ゴールまで時速60~70キロで走り抜ける瞬発力と脚力を備えたスプリンターでした。
私は彼が自転車競技をしている間、毎週末彼と行動を共にし、彼が走っている時にドリンクを渡す役目をしていました。一度も渡し損ねたことはありません。
あの日、家に寄った彼は食欲が無いと言ったので倉庫にあった彼が好きなナタデココ入りのドリンクを渡すと「うん、これなら飲める」と笑って受け取り美味しそうに飲みました。恐らくそれが彼が最後に口にしたものだと思います。
彼が死に場所に選んだのは私たちがブルターニュ地方に引っ越してから最初に優勝した場所だったと気が付きました。
私から飲み物を受け取った彼は最後の直線を猛スピードで駆け抜けたわけです。
今の私の手元には沢山の花があり、彼の試合の後の様です。
表彰台に上り花とカップをもらいインタビューを受けていた息子。そしてその花をいつも私にくれて私は車までの道を誇らしく花を見せびらかせながら帰りました。
ママ、頑張ったよ。あなたの25年の人生は凝縮されて誰よりも濃いものだったと思う。いつも急いでいてママは目が回りそうだったけれどとても楽しかった。最後の最後まで全力疾走しちゃったね。
素敵な夢を見させてもらった25年間でした。私の子供に生まれて来てくれて本当にありがとう。
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昨日のお昼ご飯のあと妹達が帰ると旦那は私に優しくなりました。私は霊安室から写真を両親と姉家族に送り電話をして息子に声をかけてもらっていました。息子が旅立つ時に両親は仏壇でお経を唱えてくれました。旦那家族は息子の姿を見ていないので私は棺桶に彼が買った沢山のぬいぐるみを一緒に入れました。ぬいぐるみ達にもキスをして息子を託しました。道中お腹が空くかと思い焼きそばカップとラーメンを入れました。お寿司は作る時間がありませんでした。もし三途の川を渡るのならとお金もそっと持たせました。手持ちが無かったのでお香典から10ユーロ抜いて息子に「これは120万くらいの価値があるんだよ」と言いなさいと言いました。そこまで行けば雪ちゃんが待っていてくれるよ。
皆様一緒に祈って下さり本当にありがとうございました。
息子の死の翌日から私はとても忙しい時間を過ごしていました。朝はいつもの様にブログを書くことで頭の中を整理し、発信することで皆様から私の気持ちに的確に寄り添って下さることを感じ支えられていました。
あちこちに出向く用事を済ませた後は私はずっと息子の側にいて、額・眉毛・目・鼻・頬・口に何度もキスをして色んなことを話しました。
霊安室は普通の部屋の様でベッドに寝ている様にしか見えない様子に毎日「〇〇ちゃん、お待たせ!」と声をかけました。
一方、火葬場でのセレモニーの打ち合わせや棺・骨壺・棺桶に敷く布・棺桶に付ける名前のプレート等の選択をしました。
棺や骨壺などのフランス語の単語を知らなかったので何度も聞き返し、(こんなことは順番で行ったら私達が先で、もっと言えば旦那が先で私と息子でやることだったのに)と思いながらその度に涙が溢れました。
そこまでは旦那と私の2人で支え合いながらやっていたのですが、火曜日の午後に妹達3人が到着すると旦那はもう霊安室には来なくなりました。元々来ても彼は中には入れないのでそれは納得していましたが、水曜日・木曜日は息子に最後に会いに来て下さる方を迎えるため、玄関ホールに待機してくれてもいいのではないかと思いました。
水曜日・木曜日、学校の先生、同僚、自転車仲間、友達、仕事関連の人達、私の(前の)ジム仲間、Fちゃんやイザベル、日本人の友人等が会いに来てくれ皆が「彼は優しすぎる子だった」と言い私を抱きしめて一緒に泣いてくれました。
一度に色んな人が重なると申し訳なく「人がいっぱいだから」と玄関で帰られた方々もおられました。
夜家に帰ると私はセレモニーで使用する写真やビデオや遺影を選び、息子の友達とコンタクトして彼の好きな音楽の曲名を聞いたり、彼らにセレモニーで読む手紙を依頼したり、親の挨拶文を私が書いたり、葬儀屋さんと携帯のメッセージを送り合って打ち合わせをしました。
木曜日の夜にはパリ郊外に住む私の親友が到着し夜中まで霊安室に付き合ってくれ、翌日も棺に蓋を閉めるまで私の側で手を握り支えてくれました。「〇〇ちゃん、こんな辛いことをずっと一人でやっていたなんて。私来て良かったよ」と泣いてくれました。
火葬場へも彼女の車で息子の棺を乗せた車の直ぐ後をついて行きました。
火葬場には150人くらいの人が来てくれて特に息子の職場からは平日にこんなに人が抜けていいのかと思うくらいの人達が来てくれました。
私が送った写真やビデオを編集して葬儀屋さんが作って下さった15分程のスライドショーを見て皆のすすり泣く声と嗚咽があちこちから聞こえました。
皆が心に残る良いセレモニーだったと言ってくれ私は自分が息子に出来る最後のことをしてやれたと思います。
セレモニーが終わった後、会場の外で多くの人が待っていてくれたので私は順番に挨拶して回りました。旦那の方を見ると自分の親戚と話していて動こうとしないので私は久しぶりに会う自転車仲間や高校短大の友達や職場の人達と話し、抱きしめてもらい、一緒に泣いてもらい手紙やお香典を受け取りました。
最後の人達が終わり気が付くと旦那は既に出発しておらず、私は親友の車に乗せてもらい、当日にパリ郊外から息子さんの車で駆け付けてくれた別の友人と共に会場を後にしました。
翌日息子の灰が入った骨壺(こちらは高温で焼くため骨の形が無い)が沢山の花と一緒に戻って来た時、私は自転車レースに例えた最後の葬儀屋さんの挨拶が思い浮かびました。
息子は自転車競技では最終周ゴールまで時速60~70キロで走り抜ける瞬発力と脚力を備えたスプリンターでした。
私は彼が自転車競技をしている間、毎週末彼と行動を共にし、彼が走っている時にドリンクを渡す役目をしていました。一度も渡し損ねたことはありません。
あの日、家に寄った彼は食欲が無いと言ったので倉庫にあった彼が好きなナタデココ入りのドリンクを渡すと「うん、これなら飲める」と笑って受け取り美味しそうに飲みました。恐らくそれが彼が最後に口にしたものだと思います。
彼が死に場所に選んだのは私たちがブルターニュ地方に引っ越してから最初に優勝した場所だったと気が付きました。
私から飲み物を受け取った彼は最後の直線を猛スピードで駆け抜けたわけです。
今の私の手元には沢山の花があり、彼の試合の後の様です。
表彰台に上り花とカップをもらいインタビューを受けていた息子。そしてその花をいつも私にくれて私は車までの道を誇らしく花を見せびらかせながら帰りました。
ママ、頑張ったよ。あなたの25年の人生は凝縮されて誰よりも濃いものだったと思う。いつも急いでいてママは目が回りそうだったけれどとても楽しかった。最後の最後まで全力疾走しちゃったね。
素敵な夢を見させてもらった25年間でした。私の子供に生まれて来てくれて本当にありがとう。
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昨日のお昼ご飯のあと妹達が帰ると旦那は私に優しくなりました。私は霊安室から写真を両親と姉家族に送り電話をして息子に声をかけてもらっていました。息子が旅立つ時に両親は仏壇でお経を唱えてくれました。旦那家族は息子の姿を見ていないので私は棺桶に彼が買った沢山のぬいぐるみを一緒に入れました。ぬいぐるみ達にもキスをして息子を託しました。道中お腹が空くかと思い焼きそばカップとラーメンを入れました。お寿司は作る時間がありませんでした。もし三途の川を渡るのならとお金もそっと持たせました。手持ちが無かったのでお香典から10ユーロ抜いて息子に「これは120万くらいの価値があるんだよ」と言いなさいと言いました。そこまで行けば雪ちゃんが待っていてくれるよ。
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コメント
コメント一覧 (40)
きっとご子息は貴女の子供で良かったと感謝されていますよ。
でも速く走り過ぎて母親置いてきぼりにしてもうたね🤔
いろいろあって当然ですが、ここからはご自分第一でごゆっくりされて下さい。
ミネットさんファンはみんな心配してますよ。
ミネット
がしました
息子さんを慕う多くの方たちと心温まるセレモニーでお見送りでき、少し安堵されましたでしょうか。
猛スピードで駆け抜けた人一倍輝いた人生だったのですね。どのお写真もキラキラと輝く素敵な笑顔ですね。息子さんのお人柄が伝わってきます。
今頃ミネットさんが持たせてくれたお食事を食べながら、雪ちゃんと楽しく遊んでいるかな。
ミネット
がしました
本当に本当に息子さんに最後にできることを立派に果たされましたね。
言葉も文化も違う遠い異国の地で。
親友の方がおっしゃった通り一人でよくやってたね、と思います。
ミネットさんだからこそできたことだと尊敬致します。
沢山の方々が駆け付け一緒に泣き抱きしめくださったことにも救われた思いでいます。
葬儀屋さんも心のこもったお仕事をしてくださったのですね。
息子さんの魂はミネットさんの心のなかで生き続けることでしょう。
これからもいつも一緒ですね。
どうか息子さんの分まで、いえ何倍も心豊かに人生を謳歌してくださいね。
ミネットさんは本当に聡明で明るくチャーミングな憧れの女性です。
これからもいつも応援しています。
私もミネットさんに出会えて本当に良かったです。本当に感謝しています。
しばらくは心身のケアを忘れずゆっくりと天に駆け抜けた息子さんの魂と共に過ごされてくださいね。
ミネット
がしました
慎吾君の葬儀に多くの人が参列したのは、それだけ皆んなに愛されていた証拠だし、立派に育てたミネットさんの人柄です。天国の慎吾君、いくらスプリンターでも、25年で駆け抜けるのは早過ぎます。あとは雪ちゃんと楽しく過ごしてね。もっとコメントしたいけど、涙が溢れて無理です。ミネットさん、改めて御冥福を御祈り致します。合掌
ミネット
がしました
いっぱい話しかけて、いっぱいキスをして、息子さんと過ごした時間は濃厚なものですね。
それにしても、たくさんの人が送りに来てくださったんですね。息子さんがどれだけ愛されてきたのか、どれだけ惜しまれていってしまったのか…。
ミネット
がしました
やっとブログお声が聞けて本当に安心しました。
この3日間、これほどのことをほぼお一人で見送られるなんて…
どんなにス-パ-パ-ソンでも、もちこたえられないです。今はどうかゆっくりお休みくださいね。
ミネットさんのブログ愛読者の中には私のように愛する人の突然の自死をふらふらになりながら、かろうじて乗り越えて来た方々も少なからずです…
どうか、いつでも呟いてくださいませ。
ミネットさんのお心の一部の一部だけかもしれませんが、共有させていただくことができるかもしれません。
そして、どうかどうか、ママ、お母さん、
生き抜いてくださいませ。
愛を込めて🍀
ミネット
がしました
日本のご家族とも電話でお別れが出来き、
彼を愛する沢山の人々愛されて見守られて、無事旅立たれて良かったです
今は、天で、ゆきちゃんと一緒に安らかな気持ちでいらっしゃると思います
苦しい中、孤軍奮闘で頑張られましたね
ご親友が付き添われたの事で、本当良かったです
ミネットさんは素晴らしい最高のお母さんです
彼が旅立った今、本当に必要なのはミネットさん自身のケアです
旦那さんのケアは妹さん達に任せて、一度日本へ里帰りされたらいかがでしょうか
日本でミネットさんを心配されているご家族も為にも
絶望的な悲しみのなかば、これだけの事を一人で頑張られたのですから、誰の気兼ねも不要です
これからもミネットさんの人生は続きます
今こそミネットさんに本当の休養が必要です
どうかこれからは、自身のケアを一番に、自分の幸せを一番に、ケーキやお肉の一番良いところもご自身にお与えください
これからもずっとずっと応援しております
素敵なお兄ちゃんの写真公開頂き、ありがとうございます
本当に優しくハンサムで、皆に愛されたお兄ちゃん
お兄ちゃんの事を思うと言葉が見つかりません
心からご冥福をお祈り致します
ミネット
がしました
ミネットさんが誇らしいです……。
息子さんはきっと雪ちゃんと天国で仲良く遊んでいます。
ミネットさん、お心を強く持ってくださいね。
ミネット
がしました
ミネット
がしました
美男で若くて手に職もあって、友人もいて女性にも人気で彼女もよくいましたよね。勿体ないな。。
ミネットさん、お身体に気をつけて下さいね。
ミネット
がしました
雪ちゃんが虹の橋のたもとで待っていてくれますね。
ミネットさん、気持ちがたくさん溢れてくると思います、どんどん書いて
吐き出して整理していってくださいね。
ミネットさん、様々な思いが噴出してくることあると思うのですが
どんどん書いて発散していってくださいな。
弱りそうな時は「皆がいる!猫さんたちもいる!」って思いつつも、頑張り過ぎないでくださいね。
息子さんのご葬儀、拝読して胸が熱くなりました。
あらためてご冥福をお祈りいたします。
ミネット
がしました
たくさんの方たちに囲まれて、惜しまれて、息子さんの生前の人柄の良さが伺われますね、
無事に終わりひとまず一段落ですね。
息子さんのたくさんの思い出がたくさん蘇って来ると思います。、ミネットさん自身が辛くて悲しさの容量がいっぱいになって来たときには、どんどんプログに吐き出して楽にしてください。!すぐにいっぱいになると思います。その時は、何回でもプログを配信してください。ミネットさんが少しでも、元気にはなれるように祈っています。
息子さんの写真は何度見てもいい表情してますね!
まるで天使のようで私も癒やされています。
ミネット
がしました
息子さんの慎吾さん、お写真で拝見してもしっかりとなさった偉丈夫で居らしたと推察致します。
慎吾さんは、実に生き生きと色々なことにチャレンジして、人生を謳歌されていたでしょうに、誠に残念無念なことです。これから先も様々なことを為し得たでしょうに。
惜しむらくは彼が自らを害めるに至るエネルギーを何があっても生きる方へ向けていただきたかった。
しかし、その様な考えをも許さない方へ、あの紫何某は慎吾さんを追い詰めてその人格を破壊していたのでしょう。罪深い話しです。慎吾さんご友人や同僚が紫何某を「悪魔」と形容するのも宜なるかな。
慎吾さんは、本当に根が優しい方でいらしたのでしょう。誠に理不尽この上ないことです。
今はどの様な言葉をミネットさんにかけましても、悲しみの淵にいらっしゃるので、心苦しいですが、余りに強く悲しまれてお身体を害しませんように。
泉下の慎吾さんのご冥福を、強くお祈り致します。
慎吾さんの霊あらば、以って瞑すべし。合掌。
ミネット
がしました
駆けつけてきてくださったご友人の方、私達のミネットさんに寄り添って下さり本当にありがとう。
ミネットさんはお一人ではありません。
ミネット
がしました
最愛の可愛い息子さんも、ママごめんね、ありがとうと思ってはると思います。。。
この数日間のブログのことは、未だ夢のような気持ちです。
どうか、無理をなさらずご自愛ください。。。
ミネット
がしました
息子さんは流星のように輝きを放ちながら25年を駆け抜けていかれたんですね。その姿をお葬式に来られた皆さんもきっといつまでも忘れないと思います。
ご親友の方が来られてずっと寄り添ってくださったとのこと、とても良かったですね。少し安心しました。これからはご自身のことを一番にしてくださいね。雪ちゃんが亡くなった後のように、張り詰めた気持ちが緩んで体調を崩されないか心配です。できれば日本に一度帰って来られて、日本のご家族と過ごされることができればいいのにと思ってます。
息子さんは今頃はあげてくださった写真のように雪ちゃんを抱っこして笑ってらっしゃるんじゃないでしょうか。
最後になりましたが、お母様や日本のご家族の皆さまにも心からお悔やみ申し上げます。
ミネット
がしました
感動しています。みんなで息子さんを送る風景が、あたかも目で見たかの様にパーっと広がって、素敵なお写真も拝見出来て、まるでセレモニーに参加したみたいに感じました。作家の目と感性をお持ちですね。
それを大切になさってください。
息子さんにとっても、なんでも出来る自慢の母だった事でしょう。
ミネット
がしました
息子さん、写真を見るに男前ですよねー。以前、ミネットさんのブログのエピソードの中での息子さんの言動に「イイ男ですね」と感想を送ったことがあります。その人柄を思い出させるような愛される存在だったことは、残念ながらお葬式のエピソードで再認識した次第です。
気の利いたことは何も言えませんが、どうかお身体に気を付けてお過ごしください。
ミネット
がしました
それも、お一人で様々な事を決めて、沢山の会葬者の方のお相手をされて、さぞ大変で気を張りつめておられた事かと案じております。
ご両親が渡仏できないとわかった時は、本当に心細い思いをされた事でしょう。
でも、親友の方が寄り添って頂けて、少し安心しました。
これもミネットさんの人間味の賜物ですね。
沢山の方にお見送りして頂けたのは、息子さんが本当に心優しく、愛されていたのかがよくわかります。
今は天国で安らかにおられるよう、お祈りしております。
ミネットさんも、ご自分のことを大切になさって下さい。
お元気でおられる事も、息子さんへの御供養になると思います。
ミネット
がしました
本当にお辛いなか、よく頑張られましたね。
あらためてご冥福をお祈りいたします。
息子さんの悲報を知り、お悔みをと思い、PCに向かって
前にいただいたメールを開いてみると、そこには
ミネットさんと息子さんが仲良くにこやかな写真が
添付されておりまして、涙があふれてきて、
もうちょっと…無理ぃとなってしまいました。ごめんなさい。
この1週間のお疲れがドッと出てくることと思います。
どうぞ、ごゆっくりなさってください。
ミネット
がしました
こういうファンが世界中にいらっしゃると思います。ミネットさん、応援してます!孤独を感じる時も有るとおまて
ミネット
がしました
異国の地でたった一人で、なのに何ひとつ不足なく全て気丈にやり遂げられて、本当にご立派です
道中のお食事にお供のぬいぐるみに渡し賃まで…
こうやって細やかに愛情をかけ手間をかけて育ててこられたからこそ皆に愛されるお人柄の息子さんになったのですね
しかもとびきりのハンサム!
チャーミングな笑顔、凛々しい姿、逞しい身体、全てが愛おしくまるで甥っ子を見送るように涙と共にセレモニーのご様子拝読しました
今は悩み苦しみから解き放たれて軽やかに天国へスプリントされていることでしょう
時々は雪ちゃんと一緒にママの側にお話に来てね
いつでも、いつまでも私たちはあなたのことを思っていますよ
ミネット
がしました
ミネットさん、応援っていうか、ミネットさんの事を想ってます。
ミネット
がしました
若く美しく素敵な彼の姿はこれからもずーっと皆の記憶の中に残って行く事でしょう、まさにその記憶を持つ人達の魂が尽きるまで。私もその中のひとりにさせて下さいね、いつまでも忘れないよ!カッコよくて強くて優しい猫が大好きな素敵な彼を!
ミネット
がしました
ミネットさんが給水をミスったことがなかったと思い出していらっしゃいましたが、息子さんの人生のサポートを一生を通じて立派になさって、最後もいいお式を執り行って、きっと息子さんはお母さんに感謝していらっしゃると思います。きっと自慢の大好きなお母さんだったと思います。
多くの方が心を込めてお見送りして下さって、どれだけ元カノがデマを吹聴しても、息子さんの真実は揺らいでいなかったのだと、皆様の想いに胸が熱くなりました。天国にも必ずやその気持ちは届いていることと思います。息子さんも癒されているのではないでしょうか。
ミネットさんの親友もいらしてくださって、多くの方に支えて頂けて、本当に良かったです。これからも実生活でもブログでも、どうかたくさん人に頼って下さいね。
息子さんの笑顔がまっすぐで明るくて、眩しいです。
私も息子さんのことが、本当に大好きです。優しくて、善良な美しい魂をもって、運動もできて、仕事もできて、家族も猫も友人も大事にして。本当に他の方も仰っていらしたように俳優さんみたいにカッコいいです。息子さんが精一杯生きたこと、私も忘れません。
素晴らしい人間性をブログを通じて見せて下さって、ありがとうございました。
心よりご冥福をお祈り致します💐
ミネット
がしました
沢山の方々が参列されて、息子さんがいかに皆から愛されていたか思い遣ることが出来ました。
ブログの更新がなかったので、ひょっとしたらまた胃の調子が悪くなられて緊急入院されたのではと、心配しました。
こんな重大な時に旦那さんは全部、ミネットさんに任せきり。彼なりに哀しみに耐えていたのでしょうが、こんな時だからこそ夫婦助けあわねばならないのに。
今までは気が張っていたでしょうが、できるなら余り考えすぎず今後はどうか、ゆっくり休養してください。
くれぐれも御冥福を御祈りします。合掌。
ミネット
がしました
いないって信じられなくて、まだまだ涙が止まりません。
優しいママのドリンクを飲んで…。
だけどどうしても生きていて欲しかったです。まだ泣いてます。
ミネットさん、ゆっくり休む時間、寝る時間、食べる時間をとってくださいね。
Lots of love.
ミネット
がしました
昨晩の復活祭で、ぼんやりとしたろうそくの明かりから、少しずつ灯がともり、鐘が鳴り響いた時に、「Belのおばさん、雪と会えたよ!」と、息子さんが言っているように感じ、涙が溢れました。息子さんはクリスチャンではなかったかもしれませんが、皆のところにそれぞれの形で挨拶しているのかも。と思っています。見ず知らずのおばさんのところにも来てくれてありがとう。
ミネットさん、お疲れ様でした。今日、こうしてミネットさんのお声が聞けることに感謝します。
ミネット
がしました
当日は、ものすごい晴天、夏のような日差しでしたね。ミネットさんの語られてきた息子さんの姿に合うような気がして、生き切った爽やかさでのぼられるような気がして、ミネットさんがんばれがんばれと祈っていました。素晴らしいお式になったようで本当によかったです。
息子さんの自転車競技のお話、最後のドリンクパスのお話、ミネットさんと息子さんとの間の強い人生の分かち合いが目に浮かぶようでした。こんな最高の写真の他に、これの何倍ものシーンを間近で見られて来られたんでしょう。息子さん、たくさん愛されて、素晴らしい人生を歩まれたんですね。スプリント、強烈な輝きが伝わりました。
ミネットさん、ゆっくり心と体が休まりますように。色んな考えがめぐるかもしれませんが、今は大事な思考も決定も後回し、ゆっくりゆっくりなさってください。応援しています。
ミネット
がしました
ミネット
がしました
喝采がなくても、表彰台にあがらなくてもいいから、生きて欲しかった。
ただ生きて欲しかった。
ミネットさん、祈っているからね。
ミネット
がしました
ミネットさん遠くから応援しています
ミネット
がしました
ショックで言葉になりません。息子様のような素晴らしい方がなぜ、と泣いてしまいました。同時にミネット様がどれだけお辛いかと。素敵な写真達を見て息子様のお人柄や彼を育んだミネット様の深い愛情が伝わってきて言葉にならない。彼の輝きを忘れません。彼が安らかでいますこと日本からずっと祈っています。どうか今は無理はせずご自愛くださいませ。
ミネット
がしました
上着は着てないけどタキシード姿の息子さん、映画のワンシーンみたいに素敵です。ポーズが決まりすぎてStar🌟かと!
ミネット
がしました
最愛の息子さんを亡くされたミネットさんのお気持ちを思うとお気の毒でお気の毒でしばらく記事が読めませんでした。今でも、エイプリルフールの悪い冗談だったらいいのにと思う気持ちが拭えません。息子さん、ずっとお母さんについていてもらって安心して旅立っていったのでしょうね。ゆきちゃんにもう会えたかしら?
ずっと気を張っておられたようですからどうか今度はご自分を大事に労わってあげてください。
ミネット
がしました
金曜日の夜は息子さんミネットさんご家族を思い、静かに遠い国にいる魂へ向かい日本(関西)から祈っていました。
ご家族、ご親類、友人や会社関係のかた・・・
たくさんの息子さんを惜しむ人々に見送られ天に駆け昇っていったんですね。
本当にほかのかたも書いていたように、はにかむイケメンの息子さんの素敵な表情のお写真を見て涙が止まりませんでした。
写真の笑顔は全てカメラを構えたミネットに向けられたものですね。
息子さんに会いに行ったり、そこにいらした来客にご挨拶をしたり、
ご葬儀の準備をしたりとしている時は息子さんを送り出す準備でバタバタでしたでしょうけど。
気が抜けてからのミネットさんの心が心配です。
ほかのかたの一生分を濃く駆け抜けた息子さんの運命だったのだと思い返しましょう。。。
いま息子さんはミネットさんの持たせてくれた船賃を言葉巧みにうまく使い川を渡り、
雪ちゃんと再会し心を開放して、仲良くお空で楽しく遊んでいる事を願います。
本当に事故から今日まで心身共にお疲れさまでした。
少し早いですが子育ては終わりましたよ。
息子さんがああ!ママまたあんな事してる!また美味しいもの食べてる!こんな事ならまだ地上にいれば良かった~
と、これからは(これからも?)お空で少し悔しがる(安心する)くらいの楽しい事をして過ごして下さい。
ミネット
がしました
お一人で何もかも用意されて
「しっかりと送らないと」
のお気持ちだったのでしょう。
お葬式には御親友様が居て下さってよかったです。
手の温もりが力強く、心を穏やかにして下さったでしょう。
猫ちゃん達と外に出て雪ちゃんの好きなお日様に当たって下さい。
茶トくんとも遊んでね。
今頃は息子さんと雪ちゃんは同じ言葉でお喋りをしているでしょうね。
ミネットファンの皆さまがおっしゃる通りに
これからはミネットさんは、ご自分を第一に考えて下さい。
頑張ったね!心から抱きしめます。
くれぐれもご自愛ください。
ミネット
がしました
ずっと信じられない気持ちで泣きながら読んでいました。何を書いてもミネットさんがもし辛い気持ちにさせてしまったら、と思いずっとコメントできませんでした。
そしてこのタイトル、駆け抜けて…はなぜでしょうか、思い起こすだけでも涙が出てきます。仕事中もこの言葉を思い出すと涙ぐんできます。
無理なさらずにご自愛ください
ミネット
がしました
ミネット
がしました