しつこく義両親話続いております( ̄ー ̄)ニヤリッ
(平成のうちに出し切ってしまいましょうね。)
結婚して4年くらい経った時に旦那から「僕のパパとママがね、結婚した時はおかしかったけど最近の君はすごく良くなったって言ってるよ。」と言いました。
これを言った旦那は、自分の両親が奥さんを褒めたことを伝えたいという思いだったのでしょうが、勿論私は(結婚した時はおかしかっただと~!!)とそこが引っかかりました。
小さいことからグチグチ言わせて頂きましょう。
お腹に息子が出来ましたので病院に行く日がありました。でも旦那は仕事だった為、お義父さんに送迎を頼んでくれました。
旦那も出勤したその朝、お義母さんが「あなた知ってる?病院へはバスで行けるのよ」と言いました。田舎に住んでいたので病院まではバスを2度乗り換えないといけませんでした。でも旦那が最初に頼んだ時に断ってくれたら私はそのつもりをしたのに当日の朝に言うなんてと気分が落ち込みました。
お義父さんが無言で運転する車に乗りながら、(もしかしてお義父さんがお義母さんに愚痴った?すごく迷惑だった?)と考えてしまいました。
私は日本で運転をしたことが無く、両親は頼めばどこにでも連れて行ってくれ、終電が無くなったら何時でもどこにでも迎えに来てくれ、添乗の前泊日には空港のホテルまで送ってくれ、海外から帰った時は京都駅まで迎えに来てくれるような生活をしていました。
愚かなことに私には他人の家で嫁として暮らすことがどういうことか全く理解できていませんでした。
でもどこかに連れて行ってくれと頼んだのは病院が一度だけでした。彼らが毎週行くマルシェにはお茶碗洗いの任務があったので、4か月のうち3度くらいしか誘ってもらったことはありません。夜のお茶碗を夜のうちに洗おうとすると「ゆっくりしたい時間帯にガチャガチャして欲しくない」と注意されました。
実家から電話がかかると早く切るように叱られ、実家から届く荷物がビジネス郵便だった為、地区的に配達が早い時間になり、荷物が届くたびに「どうにかしろ!」と叱られ、友人とモンサンミッシェルに旅行に行く時に朝お弁当を作っていると、「ニオイが流れてくる!」と台所と応接間の間のドアを思いっきり閉めて行かれたりしました。
私はそこまでの人生において、有難いことにそんなにも他人から疎まれたり憎まれたりすることなく安穏に暮らしてきたので、私のどこが彼らの気に食わないのか理解できずに苦しみました。
後編(日本時間の16時半更新)に続きます。
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結婚して4年くらい経った時に旦那から「僕のパパとママがね、結婚した時はおかしかったけど最近の君はすごく良くなったって言ってるよ。」と言いました。
これを言った旦那は、自分の両親が奥さんを褒めたことを伝えたいという思いだったのでしょうが、勿論私は(結婚した時はおかしかっただと~!!)とそこが引っかかりました。
小さいことからグチグチ言わせて頂きましょう。
お腹に息子が出来ましたので病院に行く日がありました。でも旦那は仕事だった為、お義父さんに送迎を頼んでくれました。
旦那も出勤したその朝、お義母さんが「あなた知ってる?病院へはバスで行けるのよ」と言いました。田舎に住んでいたので病院まではバスを2度乗り換えないといけませんでした。でも旦那が最初に頼んだ時に断ってくれたら私はそのつもりをしたのに当日の朝に言うなんてと気分が落ち込みました。
お義父さんが無言で運転する車に乗りながら、(もしかしてお義父さんがお義母さんに愚痴った?すごく迷惑だった?)と考えてしまいました。
私は日本で運転をしたことが無く、両親は頼めばどこにでも連れて行ってくれ、終電が無くなったら何時でもどこにでも迎えに来てくれ、添乗の前泊日には空港のホテルまで送ってくれ、海外から帰った時は京都駅まで迎えに来てくれるような生活をしていました。
愚かなことに私には他人の家で嫁として暮らすことがどういうことか全く理解できていませんでした。
でもどこかに連れて行ってくれと頼んだのは病院が一度だけでした。彼らが毎週行くマルシェにはお茶碗洗いの任務があったので、4か月のうち3度くらいしか誘ってもらったことはありません。夜のお茶碗を夜のうちに洗おうとすると「ゆっくりしたい時間帯にガチャガチャして欲しくない」と注意されました。
実家から電話がかかると早く切るように叱られ、実家から届く荷物がビジネス郵便だった為、地区的に配達が早い時間になり、荷物が届くたびに「どうにかしろ!」と叱られ、友人とモンサンミッシェルに旅行に行く時に朝お弁当を作っていると、「ニオイが流れてくる!」と台所と応接間の間のドアを思いっきり閉めて行かれたりしました。
私はそこまでの人生において、有難いことにそんなにも他人から疎まれたり憎まれたりすることなく安穏に暮らしてきたので、私のどこが彼らの気に食わないのか理解できずに苦しみました。
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コメント
コメント一覧 (4)
じゃあ、藁人形作る!…これも手遅れ?
これはやはり原案として送りましょうよ、橋田壽賀子さんに。
ミネット
がしました
たとえミネットさんがその時点で料理ができたとしても、和食が中心でフランスの家庭料理なんてわからないですから、役に立たなかったと思います。アイロンの件でも言葉がネイティブでないので、ニュアンスがわからないし誤解を招くことは多かったでしょう。言い方が失礼だったり。
私も夫の実家に行かなくなってしまったのは、自分が好きで行っているわけではないのに、恩に着せられることがいい加減イヤになってしまったからです。家来みたいな不快な扱いを受けてお礼まで言わされる。帰ったあとも夫が実家にお礼の電話をかけるので、その時に私に代わるように言われ再びお礼を言わされる、もうウンザリでした。姑は当たり前のこと!と思っているので完全に平行線でした。
泣きながら「離婚して欲しい、子供は施設に入れる」と言うと夫もあきらめました。そのあとも「籍だけでも抜きたい。旧姓に戻りたい」と。その時のことは娘たちに全部話しているので、娘たちは祖母をひどく憎み軽蔑しています。たまに会っても完全無視、一番遠い席につめてもらってでも座るそうです。
姑は夫の姉が6年前から東京で引き取っています。夫も私たちも一度も訪ねたことはなく、東京ディズニーランドへ行ったときも素通りしました。電話も一度もかけていませんし、あちらもかけてこないです。結局、自分が損ですよね。絶縁して幸せなのは私だけです!
ヨーロッパは日本ほどはひどくないと思っていたのに。娘たちの大学受験が終わったら家事を教えます。^_^。私や、ミネットさんの義妹さんのように離れていることですね。いつでも離婚できるようにしておかないと!
ミネット
がしました